翻訳の大地

できるだけ「翻訳」にまつわる様々な話題をとりいれて書いていくつもりです。

タイ(24)

タイの今(3)

国王の「お言葉」が社会に影響を与える

ラーマ9世現国王は、毎年12月5日の誕生日に恒例の「お言葉」を述べる。「お言葉」は政策にも影響を与えるほど重みがある。国王を深く尊敬する国民だからこそ「お言葉」に耳を傾けるのだ。ただし、近年は高齢のため公務の数を減らしている。

 

しばしば政治的混乱が発生するが、現在のタイはクーデターなどで社会が根本的に変化することもなく、将来的には中国やブラジルなどの新興大国の次に発展が期待されている。

 

タイの物価の目安

● ミネラルウォーター、500ml・ジュース類 ⇒ 10~30バーツ

ホテルの部屋のミニバーだと3~4倍になる。

● ビール 約350ml  ⇒ 20~35バーツ

ホテルの部屋のミニバーだと3~4倍になる。

● カフェ(ホテル) ⇒ 100バーツ

日本と変わらない。街中には喫茶店はあまりない。

 ● タバコ ⇒ 70~100バーツ

外国銘柄は高い

● 朝食(ブッフェ) ⇒ 200~900バーツ

ツアーの場合は、パッケージ料金に含まれるので無料となる。

● ハンバーガー(ファストフード) ⇒ 50~100バーツ

満足する量にすると屋台より高い。

● 屋台でのランチ ⇒ 30バーツ~

2皿食べれば、十分満足

● 昼食(庶民的な店)⇒ 100~200バーツ

セットメニューもある。

 夕食(高級店) ⇒ 700バーツ~

セットメニューもある。

● 高架鉄道BTS) ⇒ 15~40バーツ

何度も利用するなら1日券がお得

 ● 地下鉄(MRT) ⇒ 15~40バーツ

何度も利用するなら1日券がお得

● メータータクシー初乗り ⇒ 35バーツ

スワンナブーム空港からバンコク市内約350バーツ(高速代などを含む。リムジンタクシーは約1,000バーツ)

● 観光名所&施設 ⇒ 20~400バーツ

寺院は総じて安い。

● タイ古式マッサージ ⇒ 400~600バーツ

2時間。日本の20分の1

● 日本への電話(3分・ダイヤル直通通話の場合)⇒ 200~300バーツ

ホテルの手数料次第でかなり高くなる。

 (続く)

タイ(23)

タイの今(その2)

副産物のバンコクの交通渋滞緩和

バブル崩壊後、旅行者が感じた最大の変化は、悪名高き交通渋滞の緩和だった。多くの人がリースで求めた車を手放した。タイは中流層グループが厚く形成された先進国型社会ではなく、車を持てることは即それなりの階層であり、つまり、車は必需品でなく、一種のステータスで車を購入した層が放出したわけである。

近年は、バブル崩壊の傷も完全に癒え、再び交通渋滞も激しくなってきたが、バンコクの中心部に高架鉄道や地下鉄などの社会資本が整備され、旅行者もその恩恵を受けている。

(続く)

タイ(22)

タイの今

タイ版バブル崩壊で経済が打撃

日本の経済バブル崩壊のパターンに似て、タイは1990年後半にバブル崩壊で経済が大打撃を受けた。タイの通貨バーツは主要通貨に対し大幅に下落し、経済はインフレからデフレに急反転する。当時は1バーツ約5円のレートが2.5円にもなり輸入品は高騰する。

その後、国際通貨基金の援助を受け、経済危機は脱したが、現在の為替レートは1バーツ約3.4円(2014年9月25日現在)前後で推移している。

タイバブル崩壊の影響で、外国人旅行者を主な相手にしていた高級ホテルが支払通貨をバーツではなくドル建てにしたのもこのころだった。

(続く)

 

タイ(21)

真の民主主義へ タイ

20世紀前半、財政難と世界恐慌で王朝は危機を迎える。1932年、無血革命ではあったがクーデターが起こり、王政から立憲君主制となる。

第二次世界大戦後は、文民政権と軍人政権が交代を繰り返しながら今日に至っている。軍人によるクーデターは頻発しているが大半は無血革命で、根本的な社会の変化はない。

1946年に即位した現国王のラーマ9世はカリスマ性があり国民の敬愛の念も強い。が、その一方、真の近代民主主義を確立したいという国民の願いも強まり、現代はその基盤を模索している状況だ。

 

(続く)

タイ(20)

タイの歴史(9)

現代まで続くバンコク王朝

アユタヤーの陥落から半年後、武将タクシンが再起しビルマ軍を撃退、タクシン王朝が成立するが、この王朝は一代限り14年という短命で幕を閉じる。

武将チャクリーが王位につき、現王朝であるバンコク王朝(チャクリー王朝またはラタナコーシン王朝)が成立。

歴代の王はのちにラーマと呼ばれ、チャクリー王がラーマ1世、現国王はラーマ9世となる。ラーマ一世は都をバンコクへ移し、王宮やワット・プラケオを建設。名君ラーマ5世はタイの近代国家としての確立に尽力した。

(続く)

タイ(19)

タイの歴史(8)

アユタヤー王朝、400年の繁栄

15世紀中頃、新興勢力アユタヤー王朝が衰退したスコータイ王朝を吸収する。アユタヤ―は16世紀に一時的にビルマに征服されるが、民族解放の英雄ナレースワン大王によって領地を奪還。

17世紀になると強固な国家体制を確立し、海外貿易も盛んに行う。日本からご朱印船が来航し、都に日本人町が造られ、山田長政らが活躍した。

しかし、18世紀には王朝は弱体化し、1767年、ビルマ軍の猛攻で都は陥落、王朝は滅亡する。このときの破壊の傷跡は今もアユタヤーに残っている。

(続く)

タイ(18)

タイの歴史(7)

タイ北部のラーンナータイ国

ラーンナータイ国はチェンマイを首都とする一種の都市連合国家で、チェンマイ、チェンラーイ、メーホンソーンなど北部タイ一帯を支配していた。チェンマイのワット・チェディールアンは当時のもの。1939年にバンコク(ラナタコーシン)王朝に併合されるが、歴史的・文化的にはアユタヤー、バンコク両王朝と対抗できるタイ族の国家であり、近年まで言語や習俗に独自性の強い文化を保ってきた。

(続く)

タイ(17)

タイの歴史(6)

タイ族の台頭

タイ族による初の王国は、13世紀、クメール帝国から領地を奪取したスコータイ王朝である。同じ時期、北タイにはラーンナータイ国とパヤオ国という有力なタイ族の国も存在している。スコータイはこの2国と盟友関係を築き、周辺国からの防衛に努めた。

スコータイ王朝は13~14世紀、ラーカムヘン王の時代にもっとも繁栄する。優れた美術表現が生まれ、タイ文字が考案されるなど、タイ文化の原点はこの時期にあるとされている。

(続く)

タイ(16)

タイの歴史(その5)

先住民族支配の時代

現在のタイ人にとって歴史の「本流」はスコータイ朝以降のタイ族の歴史だが、それ以前も含め、現タイ王国領土内ではさまざまな民族の覇権と滅亡が起こっている。

タイに国家的集団が形成されたのは6世紀ころと言われる。先住民族のモン族の国、ドヴァーラーヴァティー国や、タイ南部で勢力を誇ったシュリューヴィジャヤ国である。

9世紀にはいるとアンコールワットで有名なクメール帝国が出現、11世紀にはドヴァーラーヴァティー国を制圧した。クメールの遺跡で特に有名なのがピマーイの石造寺院で、「タイのアンコールワット」とも呼ばれている。

(続く)

 

タイ(15)

タイの歴史(その4)

<1917年>

第一次世界大戦に連合国側として参戦

<1919年>

このころから貿易収支が大幅赤字となり、国家予算の赤字が続く

1920年

以後数年の間に、ヨーロッパ各国と不平等条約を改正

<1932年>

無血革命により立憲君主制に移行。憲法発布

<1939年>

国号を「シャム」から「タイ」に変更。第二次世界大戦勃発に際し中立を宣言するも、日本の侵攻により英米に宣戦布告。大戦終結後の1945年、宣戦布告を無効と公表する

<1946年>

ラーマ9世即位。国連加盟

<1952年>

日タイ外交関係復活

<1992年>

流血革命により軍事政権撤退。以後、文民政権が続く

<2006年>

クーデターによりタクシン政権崩壊。その後、政治混乱の時期が続く

<2011年>

記録的な豪雨により各地が冠水

 

 (続く)

タイ(14)

タイの歴史(その3)

<1774年>

タクシン王とチャクリーの軍が、チェンマイよりビルマを排除

<1782年>

タクシン王が精神に異常をきたし、処刑される。チャクリーが即位(のちのラーマ―1世)し、現王朝の初代となる。都を現在のバンコクに定める。

<1855年>

タイに不利な英タイ修好通商条約締結。以後、欧米諸国がこれに倣う。1898年には日タイ修好通商航海条約締結

<1868年>

ラーマ5世即位。以後、行・財政改革を断行する。

<1880年頃>

ラーマ5世、ラーンナータイ国へ統治を強める。1939年に正式に併合

<1893年>

フランス砲艦がチャオプラヤー川を封鎖し「シャム危機」に。タイはフランスにメコン川西岸を割譲。以後、英仏などの圧力に、領土の一部割譲が続く

<1900年>

最初の長距離鉄道路線バンコク~ナコンラーチャシーマ間完成

(続く)

 

タイ(13)

タイの歴史(その2)

<1511年>

ポルトガル人フェルナンデス、西洋人として初めてアユタヤーを訪問

<1558年>

ビルマ王がチェンマイを占領。ラーンナータイ国はビルマの支配下に

<1569年>

ビルマ軍がアユタヤ―を占領。アユタヤ―王朝は事実上ビルマの支配下に

<1592年>

アユタヤ―王朝のナレースワン王がビルマ軍を撃退

<1604年>

日本のご朱印船がアユタヤ―へ来航。17世紀前半にアユタヤ―に日本人町誕生

<1608年>

オランダ、アユタヤ―に商館設置。1612年にはイギリス軍東インド会社がアユタヤ―に商館設置

<1685年>

フランスからルイ14世の使節が来訪。同時期にペルシャの使節も来訪

<1767年>

ビルマ軍がアユタヤ―を占領・破壊

<1768年>

ビルマ軍の攻撃から逃れた武将タクシンが即位し、トンブリー王朝を設立。タクシン王がアユタヤ―を奪還

タイ(12)

タイの歴史(その1)

<6~11世紀>

チャオプラヤー川流域の西にドヴァーラーヴァティー国 

<7~14世紀>

タイ南部にシュリーヴィジャヤ国 

<11世紀>

タイ中央部をクメールのアンコール朝が支配。12世紀にアンコール・ワット建立 

<1240年頃>

タイ族がクメール帝国からスコータイを奪い、スコータイ王朝を建設 

<1259年>

メンライ王が即位し、ラーンナータイ国が成立 

<1279年>

スコータイのラームカムヘン王即位 

<1283年>

ラームカムヘン王、タイ文字を創案 

<1351年>

アユタヤーを都とし、ラーマティボディー1世が即位。アユタヤー王朝成立 

<1431年>

翌年にかけ、アユタヤー王がアンコール朝のアンコールを攻略。アユタヤー王朝がアンコールを統治 

<1438年>アユタヤ―王朝がスコータイ王朝を吸収 

 (続く)

タイ(11)

タイではこんな病気に気をつけよう 

マラリア

マラリア原虫を持つ蚊が媒介する病気。バンコクなどの都市部での感染は少ないが、国境ツアーなどに参加する人は、防虫スプレーを準備するなどの用心を。マラリアは、体内に原虫が入ってからおよそ7~30日で発病する。悪寒と震え、40度以上の高熱が主症状で、通常は高熱と平熱の状態を繰り返す。死に至る可能性もある。予防薬はあるが、日本国内では入手困難なうえ副作用が出る人もいる。

 

狂犬病

犬に噛まれ、唾液中の病原菌で感染する病気。潜伏期間は2~8週間。タイの犬は狂犬病の予防接種をしていないものが多い。

 

デング熱

蚊が媒介。バンコクなどの都市部で流行することがあり、マラリアよりも注意が必要。潜伏期間は5日~1週間。発熱や頭痛などマラリアとよく似た症状。手足に風疹のような発心が出る。

 

下痢

下痢をする人は多いが、これは慣れない食べ物で胃腸が驚いておこるものが大半。1~2日は静養して様子をみながら、症状が治まらなければ病院へ。また、病原菌の感染によるものは、下痢とともに発熱を伴う場合が多い。

 

 ウィルス性肝炎

食べ物や飲み水の中のウィルスで感染するA型は、東南アジアに多い。38度以上の熱、倦怠感、おう吐などが主症状。治療が遅れると完治に時間がかかるので早めに病院へ。潜伏期間は15~50日、平均して1か月と長い。帰国後に発病する例も多い。

 

 赤痢

食べ物や水が感染源。潜伏期間は数時間から3日。下痢や発熱、腹痛、重症だと血便が出たりする。手持ちの抗生物質で治ることもあるが、法定伝染病なので帰国後に隔離・入院となる。

 

チフス

食べ物や水が感染源。潜伏期間は1~3週間。発熱、腹や胸にピンク色の発疹、便秘など。進行すると便秘から下痢になったり、昏睡状態に陥ることもあるので早めの治療が不可欠。

 

 コレラ

食べ物や水が感染源。潜伏期間は1~5日。主症状は激しい下痢。腹痛や発熱はほとんどない。嘔吐をともなうことがある。現在は抗生物質の投与で比較的簡単に治る。

 

エイズ

タイのエイズ感染者は100万人とも言われる。感染経路は性交渉がほとんどだ。また、鍼や、タトゥー、ピアスに使用される針などが感染源となる危険性も高い。

 

鳥インフルエンザ

旅行中の手洗い、うがいはもちろん、鳥インフルエンザ流行地域の鶏舎に行かない、生きた鳥を扱う市場へ不用意に立ち入らないなどの心がけを。加熱処理(75度以上)した鶏肉や鶏卵を食べる分には問題ない。

 

(続く)

タイ(10)

タイでは食べ物に注意することが第一

タイ国内で感染する危険性がある伝染病について、それぞれの感染源や症状などを解説してある。これらの症状についてある程度の知識を頭に入れておき、具合が悪くなったときにあわてずに対処できるようにしておこう。

 

読めば分かるように、マラリア狂犬病デング熱を別にすれば、ほとんどの場合は経口感染、つまり食べ物によるもの。したがって、生ものや生水、生水で作った氷などを口にしないだけで、かなりの予防になる。

 

また、熱を通した料理でも、時間の経ったもの、あるいは、食器類を洗う水があまり清潔とはいえない屋台などの料理は、現地になれるまで手を付けない、といった用心をしよう。または、体調に自信がない人は街の庶民的な屋台は避けたほうが無難かもしれない。

(続く)