翻訳の大地

できるだけ「翻訳」にまつわる様々な話題をとりいれて書いていくつもりです。

ワープロと翻訳業界(その21)

アップルのマッキントッシュとPageMaker 、QuarkXPress Illustrator の天下は、結構長く続いたという気がします。おそらく1990年代前半から2000年代前半まで、10年程度続いたのではないでしょうか。

当時は、高度な編集機能を持ち、かつ、大量文書を扱えるFrameMakerなどの最新鋭DTPソフトが次々と登場し、MS-Word に代表されるワープロとは、一線を画していました。

しかし、その後マイクロソフトMS-Wordなどのオフィス製品 がすさまじい勢いで世界中に普及しはじめました。

また、 MS-Word そのものに高度な編集機能や大量文書に耐え得る処理能力が備えられ、かつ安価で高度な機能を持つ作画ソフトなども世の中に多く出回り始めました。

その結果、どういうことが起こったかと言うと、世界中の誰もが仕事でマイクロソフトオフィス製品を使い始めたため、翻訳の依頼も支給された電子データ上に翻訳者が上書きすればよい、というやり方に変わっていったのです。

(続く)

ワープロと翻訳業界(その20)

J-Star を導入するメリットの一つに、J-Star のデータは J-Star でしか扱えない、というものがありました。

したがって、購入金額は非常に高いのですが、買えば競合他社は多くないので、うまくやりさえすれば、短期間で投資額を回収し、ほぼ仕事を寡占化できるというメリットがありました。

その点、アップルのマッキントッシュは、J-Star に比べれば金額は圧倒的に安いものの、競合他社が多く出てくるため、とにかく他社より早く導入し、いち早く顧客データを囲い込んでしまうというスタートダッシュが非常に重要でした。

 つまり、この手の投資は、導入するタイミングがとても大切なのです。

 弊社では、もともと翻訳の質そのものに絶対的な自信を持っていたのですが、競合する翻訳会社に先駆け、マッキントッシュを導入したため、圧倒的な差をつけてライバル各社を引き離すことに成功したのでした。

(続く)

ワープロと翻訳業界(その19)

J-Star の登場とほぼ時期を同じくして、NECのPC98シリーズの大ヒットがあり、同時にワープロソフト、一太郎の大ヒット ⇒ 様々な種類のワープロソフトの登場 ⇒ マイクロソフトMS-Word の市場席巻、と続いたことはすでに述べたとおりです。

 世の中のワープロがあっという間にマイクロソフトMS-Word に集約されていく最中、ある異質のパソコンが世に登場しました。

アップルコンピューター(現在のアップル)のマッキントッシュです。

マッキントッシュはパソコンですから、様々な種類のアプリケーションソフトを乗せて様々な作業ができるわけですが、私たち翻訳業界にとって衝撃的だったのが、下記のアプリケーションソフトでした。 

PageMaker (Aldus 社)レイアウトソフト ⇒ のちAdobe社が買収

QuarkXPress(Quark 社)レイアウトソフト 

 IllustratorAdobe社)ドローソフト 

当時、DTP (Desk Top Publissing) ソフトと呼ばれる様々なソフトウェアが出てきましたが、上記ソフトが秀逸で日米において一番シェアを伸ばしていたと思います。

アップルのマッキントッシュは、パソコンとしては値段がかなり高かったでしたし、上記のソフトウェアもパソコン用業務ソフトの中ではかなり高価な代物でした。

しかし、J-Star に比べれば、圧倒的に安く、性能もはるかに優れていて、応用が利き、メンテナンス料金も比べ物にならないほど安かったのでした。

弊社がすぐに購入に踏み切ったことは言うまでもありません。

(続く)

ワープロと翻訳業界(その18)

せっかくA社に J-Star の現場を見せていただいたのですが、弊社はJ-Star の導入を見送りました。

その最大の理由は、売値(単価)の問題でした。当時より、IT翻訳は、医薬翻訳よりも付加価値(単価)が低かったからでした。

翻訳の量で言えば、圧倒的にIT翻訳関連の方が多かったと思いますが、単価は医薬翻訳の方が高かったのでした。

医薬翻訳専門のA社は、J-Star の投資額を回収できるとしても、弊社の売値では相当な量をこなさないと回収は難しいだろう判断したからです。

実際、その後しばらくして、J-Star と人員を大量投入して、短期決戦で投資額の回収を狙わないか、と弊社にその導入を求めてきた大手企業のクライアントが現れたのですが、やはり J-Star 導入はしませんでした。

そして、その判断が正しかったことを数年もたたずして悟ります。

その後クライアントの口車に乗せられて、大型投資を行ったはいいものの、バブルが崩壊して倒産した、あるいは倒産すれすれまで行った大手翻訳会社や印刷会社をいくつも見ることになったからです。

中小企業の投資の先には、常に「倒産」の2文字がつきまといます。しかしながら、次への投資を怠れば、同じく「倒産」の陰がひたひたと忍び寄ることになります。

(続く)

 

ワープロと翻訳業界(その17)

1986年当時、A社は医薬専門の翻訳を行う翻訳会社で、弊社はIT分野が中心の翻訳会社でした。ITと言っても、当時ITという言葉はなかったため、「コンピュータや通信を中心とする電機分野の技術翻訳を得意とする会社」と名乗っていました。

そのため、A社のY社長からすれば、医薬とITなので直接的にバッティングすることはない、と思い親切に会社を案内してくれたのだと思います。

実際、その後もA社と弊社は仕事でバッティングしたことは一度もありませんでした。A社は確か今から5~6年ほど前の2008年頃に、Y社長がご高齢のため引退し、会社を閉鎖するというような話を聞いたことがあります。

さて、話を1986年のA社訪問の件に戻します。

A社はワンフロア―が20坪ほどの小さなビルの2フロアーを使い営業していました。

一つの階に J-Star が4~5台並び、制服を着たオペレーターの若い女性が5~6人ほどいて、華やかな雰囲気のなかで仕事をしていました。

(続く)

ワープロと翻訳業界(その16)

もし、J-Star を採用するとしたら、最低でも3台は購入して、既存のワープロオペレーターを教育するだけでなく、即戦力となる J-Star のプロフェッショナルオペレーターも新規に採用しなければなりません。

 すでに大手翻訳会社や中堅どころの印刷会社は、J-Star を導入し、仕事を始めていました。

しかし、もれ伝わる噂によれば、どの会社も「忙しいだけで採算に合わない」「リース料やメンテナンス料が高すぎる」「作業効率が非常に悪い」「バグが多すぎる」等々・・・ネガティブな情報ばかりでした。

そうした最中、翻訳会社の経営者たちが集まり、飲みながら交流を深めるという機会がありました。

その時、医薬関係を専門に行っている翻訳会社A社のY社長から、「J-Star をいち早く導入し利益を出している」という話を聞きました。

そこでY社長にお願いして、「現場を見学させていただけないか?」とお願いしたところ快く承諾していただき、さっそくA社まで足を運ぶことになりました。

1986年のことでした。

(続く)

 

ワープロと翻訳業界(その15)

私が初めてJ-Starを見たのは、おそらく富士ゼロックスのショールームだったかと記憶していますが、マウスを動かすとディスプレイ上のポインタが動き、クリックで操作ができるということに驚きました。

しかし、もっと驚いたのはその値段でした。

Wang も CPT も高かったのですが、J-Star の値段はそれを超えていました。

しかも、最低でも一度に3台から5台ほどを購入し、それにあわせてオペレーターも雇用し、教育しなければなりませんでした。

つまりJ-Star を導入する以上、大手メーカーが発注する大量文書の翻訳から版下作成までの仕事を安定的に受注しなければ、とても採算に合わなかったからです。

当時まだ、Wang や CPT のリースが残っていた弊社は、難しい決断に迫られることになりました。

(続く)

ワープロと翻訳業界(14)

1980年代、日本の翻訳業界では、ごく一部の翻訳会社が英文ワードプロセッサーを使っていましたが、その主流は、IBMディスプレイライターから、Wang や CPT へと一挙に移行していきました。

私の知るところでは、Wang のシェアが圧倒的に高かったと思います。

1台400万円以上もするワープロでメンテナンス料も消耗品代も非常に高かったため、中堅どころの印刷会社やごく一部の比較的大手の翻訳会社が導入していました。

私からすると「翻訳の質で選ばず、ワープロの種類で翻訳業者を選ぶとはナンセンス」と抵抗していましたが、結局大量の仕事はどんどん Wang や CPT を持つ会社へと流れて行きました。

そのため、弊社も清水の舞台から飛び降りる覚悟で3台の Wang と1台の CPT を購入しました。

初期投資だけで合計1,600万円以上したと記憶していますが、なんとかブームの最後に乗ることができ、幸い、投資額以上の利益を上げることができました。

しかし、その後、急展開していったのが、前述したワープロ富士ゼロックス社の J-Star でした。図を紙で切り貼りすることなく、コンピューターの画面上で作成し電子データを作成できるというものでした。

私が初めて J-Star を見たとき、まずその「マウス」と「ポインタ」の動きにビックリしたのを覚えています。

(続く)

ワープロと翻訳業界(その13)

当時、うまく「切り貼り」をするには、職人芸とも思えるワザが必要でした。

まずは、切り貼り用のプラスチック製のマットとカッターナイフが必要です。そのマットは、切り貼り専用に作られているため、紙を乗せ上からカッターナイフで切り刻んでもマットに傷がつかないよう、実にうまくできています。

 モノによっては、ミリ単位で切り刻んで貼りつけなければならない箇所もあります。

日本語から英語へ翻訳した場合、漢字4文字で長さ1cmなのに英語にすると4cmになるなんてケースがしばしばあります。そのため、貼りつける箇所を修正液とトレースでうまく形を変えて、場所を確保し、そこにうまく収まるように貼る必要があります。

まず、切り貼り専用の糊を紙の裏全体につけます。

次にその紙を表にしてマットの上に置くのですが、切り貼り用のマットは紙が貼りつかないよう、これまた実にうまくできているのです。

そして、カッターナイフを使って必要箇所を細かく切り取り、ピンセットを使って、素早く所定の箇所に貼りつけます。

現在(2014年)では、パソコンの画面上で画像のカット&ペーストや文字の上書きをあたりまえのように行っていますが、本当に隔世の感があります。

1980年代半ばころ、画面上で画像を作成できるコンピューターを初めて見たのは、当時富士ゼロックスで販売していた、J-Starというワークステーションでした。

(続く)

ワープロと翻訳業界(その12)

当時は、ワープロソフトを搭載したパソコンと電動タイプライターのキーボードを打つ音がオフィスに鳴り響き、2台あった大型コピーマシンも常時フル稼働して実に“うるさい”会社でした。

メールがない時代ですから、在宅翻訳者や顧客からの電話のベルが鳴り響き、電話での会話が常にオフィスに満ち溢れていました。

宅急便という日本が世界に誇る優れた荷物の移動手段が日本中に普及するまで、在宅翻訳者とのやり取りは、全てオフィス内での手渡しが原則となっていましたから、来客も絶えません。

当時は、オフィスにパーティションなどあまりない時代でしたから、オフィスは隅々まで見渡せ、また音も遠くまで聞こえました。

そういうオフィス環境の中、 翻訳者や英語ネイティブのリライターやチェッカーは、パソコンと紙に向かって黙々と仕事を続けていました。

バタバタとせわしないその横で、ワープロオペレーターがまた黙々と“切り貼り”をしていたのでした。

(続く)

ワープロと翻訳業界(その11)

トレーサーがトレーシングペーパーに清書した「図形」をコピーマシンでコピーを取ります。

ちなみに「図形」の種類と言えば、エンジニアの書いた設計図、回路図、外観図、グラフ、等々が多かったでした。

白い紙にコピーをした図形には、文字を打ち込むスペースがあるので、そこにワープロオペレーターが、ワープロや電動タイプライターで打った英字を貼りつけていきます。

つまり、日本語から英語に翻訳された文字をプリントアウトし、カッターナイフで切り取り、コピー紙に出力された図形の該当箇所に糊で貼りつけるのです。

これを文字通り「切り貼り」と呼んでいました。

現在、パソコン上で行っている、Cut & Paste のアナログ版とでも言うのでしょうか。

Cut & Paste の原始的処方でした。

(続く)

 

ワープロと翻訳業界(その10)

トレーサーは、専用の机の上でカラス口やロットリングや雲形定規などを使いトレースをしました。

「専用の机」とは、机の表面が半透明の白い曇りガラスでできていて、中に蛍光灯が入っているトレース台のことです。

トレーサーは原文をその机の上に置き、さらにその原文の上にトレーシングペーパーを重ね、カラス口やロットリングで図形をなぞり、清書していきます。

ちなみにロットリングとは、カラス口の後にできた、製図用の万年筆のことです。

顧客のエンジニアが鉛筆でラフに書いた設計図をトレーサーがきれいに清書するのです。

直線はもとより、様々な曲線を雲形定規を使い、ものの見事に上書きし、仕上げていくトレーサーの業は、まさに職人芸でした。

翻訳から版下作成の仕事までをやるには、翻訳者、英語ネイティブチェッカー、ワープロオペレーター、トレーサーと、最低でもこれらのプロフェッショナルが各工程に必要でした。

(続く)

ワープロと翻訳業界(その9)

さて、日本のワープロがアメリカ製のソフトウェア、つまりマイクロソフトMS-Wordに集約されていくところまでお話しました。

 ところで文書というものは、テキスト(文章)と図(写真も含む)と表の3つで構成されています。

ワープロの普及により、テキストや表やレイアウトの編集は大変楽になりました。

しかしながら、図の電子化はそう簡単にはいきません。

1980年代にコンピューター上で図を作成する、作図専用ソフトもありましたが、まだまだ高価であり、その熟練オペレーターも少なかったため、図は人間が「トレース」するのが一般的でした。

「トレーサー」という職業の人がいて、エンジニアが鉛筆などでラフに書いた図やグラフをきれいに「烏口(からすぐち)」で清書するのです。

カラス口など今の人はほとんど知らないでしょうが、製図用の特殊なペンのことです。

(続く)

 

ワープロと翻訳業界(その8)

NECのPC98シリーズは、一時期、日本のパソコンシェアの過半数以上を占めていて、その天下はしばらく続きました。

また、パソコンに搭載するワープロソフトも一太郎のほかにも、次から次へと様々な種類のソフトウェアが発売されました。記憶に残っているものだけでも下記のものがあります。

 

Microsoft Word(マイクロソフト

・WordStar

WordPerfectCorel

・松(管理工学研究所)

・AmiPro(ロータス

・アシストワード(アシスト)

織姫Lite日本IBM

・マックライトII(クラリス

 

ワープロソフトが乱立し、群雄割拠の時代はしばらく続くのですが、やがて世界はマイクロソフトMS-Wordに一本化されていくことは、誰もが知るところです。

(続く)

ワープロと翻訳業界(その7)

今までハードウェアのワープロの話をしてきましたが、日本のワープロ業界に彗星のごとく現れ、日本のワープロ事情を一変させたのがあの「一太郎」でした。

ちょうど時期を同じくして、1980年代にNECのPC9800シリーズというパソコンが爆発的なヒットを飛ばしていました。

PC98シリーズ(略して「キューハチ」)はパソコンなので、経理ソフト、給与ソフト、表計算ソフト、その他業務用ソフトや個人が楽しむゲームソフトなどを搭載して様々な使われ方をしていました。

そこに日本のITベンチャーの走りともいえる和製ソフトウェア会社、ジャストシステムが「一太郎」というワープロソフトを1985年に発売して、大ヒットとなったのです。

当然、私たちの翻訳業界にも大きな影響を与えました。

もう、英語ワープロと日本語ワープロとパソコンを3台持つ必要はなくなり、ハードウェアは1台買えば、あとはソフトウェアで対応できる時代が突如現れたのです。

(続く)